Log: 01 - 死してなお呟く
夏にしては冷え込む夜だった。都内の高級マンション、その一室には異様な臭気が立ち込めていた。生ゴミの腐敗臭と、甘ったるい芳香剤の匂いが混ざり合った、吐き気を催すような臭い。
「……ひでえもんだな」
警視庁捜査一課の土門源三(どもん げんぞう)は、ハンカチで鼻を押さえながら呟いた。
リビングの床には、若い女性の死体が転がっていた。首には索条痕。死後数日が経過しているらしく、肌の色はドス黒く変色している。
『死亡推定時刻は72時間前、7月14日の午後8時から10時の間です』
土門の右耳に装着したイヤホンから、合成音声が響いた。抑揚のない、機械的な女声だ。
「分かってるよ、アイ。いちいち耳元で喚くな」
『「喚く」という表現は不適切です。私は事実を報告しているだけです、土門刑事』
アイ――本名、警視庁捜査支援AI『I-3』。最新鋭の捜査パートナーだが、土門にとってはやかましい目覚まし時計と変わらない。
「被害者は早乙女(さおとめ)リナ、24歳。美容系インフルエンサーか」
土門は手袋をした手で、テーブルの上に置かれたスマートフォンを手に取った。最新機種だ。画面には通知がびっしりと並んでいる。
『フォロワー数25万人。同世代の女性から絶大な支持を得ています』
「ふん。死んだ後も人気者は辛いねえ」
その時だった。スマホの画面が明るくなり、ポロン、と軽快な通知音が鳴った。
『新規投稿があります』とアイが告げる。
「は?」
土門は眉をひそめた。死体はここにある。目の前に。3日前から動いていないはずの肉塊だ。
しかし、スマホの画面には、インスタグラムの投稿完了通知が表示されていた。
「……おい、アイ。これを見ろ」
土門が画面をタップする。そこに表示されたのは、夜景の見えるバーで、カクテルグラスを傾ける早乙女リナの写真だった。
「『久しぶりのマティーニ。夜景が綺麗すぎて泣きそう』……だと?」
『投稿時刻は現在、20時15分。位置情報は港区のスカイラウンジ『ヴェルデ』です』
「馬鹿な。幽霊が自撮りでもしたってのか?」
土門は死体を見下ろした。彼女はここで死んでいる。
だが、彼女のアカウントは生きていた。
3日前、死亡したはずの日付には『新作パスタおいしい!』というランチの写真。
2日前には『ジムで汗かいてスッキリ』というトレーニングウェア姿。
そして今、彼女は夜景の見えるバーにいることになっている。
『分析結果。この投稿は予約投稿ではありません。リアルタイムの天気情報、背景の照明パターンと一致しています』
アイの声が、淡々と告げた。
『結論。早乙女リナは生存している可能性があります』
「目の前のこれを無視してか?」土門は鼻を鳴らした。「面白い。機械仕掛けの幽霊退治と行くか」
Log: 02 - 鉄壁のアルゴリズム
翌日、捜査本部は混乱の極みにあった。
「死亡推定時刻の誤りではないのか?」
管理官が怒鳴るが、監察医は首を横に振る。「間違いありません。彼女は3日前に死んでいます」
しかし、デジタル鑑識の結果は正反対だった。
「SNSへのアクセスログ、電子マネーの決済履歴、すべてが彼女の生存を示しています」
アイがモニターにデータを表示する。
『昨日、港区のバー『ヴェルデ』の防犯カメラ映像です』
画面には、リナが店に入っていく様子が鮮明に映っていた。顔もしっかりと見えている。
『顔認証、および歩容認証による一致率99.9%。早乙女リナ本人と断定できます』
「だが、現場の店員や常連客への聞き込みじゃ、誰も彼女を見てねえんだよ」
「99.8%ねえ……」
土門はあくびを噛み殺しながら、資料をめくった。
容疑者は一人浮上していた。高村翔太(たかむら しょうた)、28歳。ITベンチャー企業のエンジニアで、リナの元恋人だ。
リナにつきまとっていたというストーカー被害の相談記録が残っている。
取調室。高村は余裕の表情で座っていた。
「だから、言ってるじゃないですか。その時間、僕は会社にいましたよ」
高村は薄ら笑いを浮かべている。
「死亡推定時刻の3日前、僕はオフィスでオンライン会議中でした。録画データも提出しましたよね?」
「ああ、見たよ。完璧なアリバイだ」
土門は頷いた。アイの解析でも、映像に編集の痕跡はなかった。
「じゃあ、昨日の夜は何をしてた?」
「自宅で寝てましたよ。……ああ、でもリナが生きてるなら、僕が犯人なんてありえないですよね? 彼女、昨日はバーにいたんでしょう?」
高村の言葉に、土門はピクリと眉をあげる。「ほう。よく知ってるな」
「SNSを見ましたから。彼女のファンなんで」
「なるほどな」
土門は取調室を出て、廊下でタバコをくわえた(火は点けない)。
『土門刑事、高村のアリバイは完璧です。物理的に犯行は不可能です』
アイがイヤホンから囁く。
「物理的にはな。だが、アイツは知ってたぞ。リナが『昨日』バーにいたことを」
『SNSを見たと言っています』
「普通の元カレなら『生きてたのか!』って驚くところだろ。あいつは『アリバイが成立する』って安心してる顔だった」
土門の刑事としての勘が告げている。あいつがクロだ。
だが、証拠がない。死体という「現実」と、データという「事実」が矛盾している。
「アイ、リナのSNSの画像を全部洗い出せ。過去1年分もだ」
『了解。……何を探すのですか?』
「違和感だよ。機械には分からない、人間臭いノイズだ」
Log: 03 - アナログな違和感
デスクに戻った土門は、とてつもない量の自撮り写真を眺め続けていた。
キラキラした日常。完璧な笑顔。加工された肌。
『画像解析完了。すべての投稿画像において、合成や修正の痕跡は検出されませんでした』
アイの報告に、土門は溜息をつく。
「合成じゃない。……もっと根源的な何かだ」
土門の指が止まった。
3日前の投稿。死亡当日の昼に投稿された写真だ。
『新作のベリーフラペチーノ! 冷たくて最高♡』
カフェのテラス席で、リナが紫色のドリンクを手に満面の笑みを浮かべている。氷がたっぷりと入った、頭がキーンとなりそうな冷たい飲み物だ。
「……おい、アイ」
『はい』
「リナの部屋の洗面所に、薬袋があったな。あれの中身は何だった?」
『ええと……現場写真データNo.45参照。痛み止め『ロキソニン』と、抗生物質です。歯科医院の領収書も同封されていました』
「日付は?」
『7月14日。死亡当日の午前10時です』
「処置内容は?」
『診療明細には……『下顎埋伏智歯抜歯(親知らずの抜歯)』および『知覚過敏処置』とあります』
土門はニヤリと笑った。
「ビンゴだ」
Log: 04 - 痛みの不在
再び取調室。
土門は高村の前に、一枚の写真を突きつけた。3日前の、フラペチーノを持って笑うリナの写真だ。
「いい笑顔だよな。楽しそうだ」
「……ええ、可愛いですね」高村は怪訝そうな顔をする。
「これ、死んだ日の昼の投稿だ。お前、AI作成とか得意なんだろ? これ、どうやって撮った?」
「は? 撮ったも何も、彼女が自分で撮ったんでしょう」
「無理なんだよ」
土門は低い声で言った。
「彼女はこの日の朝、親知らずを抜いてる。しかも、かなり難工事だったらしいな。歯茎を切開して、骨を削ってる」
高村の顔から、笑みが消えた。
「麻酔が切れる頃だ。顔は腫れ上がり、口もまともに開かねえはずだ。ましてや……」
土門は写真を指差した。
「キンキンに冷えた氷入りのドリンクなんて、知覚過敏の治療中に飲めるはずがねえ。激痛で飛び上がるぜ」
「……っ!」
「アイ、抜歯後の患者がこれを飲んだ場合の痛みレベルは?」
『推定疼痛レベル8。一般的に『激痛』に分類されます。笑顔を維持することは極めて困難です』
「聞いたか? 機械にも分かる理屈だ」
土門は高村を見据えた。
「お前はAIに学習させたんだろ? 彼女の行動パターン、好みの店、文章の癖。彼女が生きていたら『行きそうな場所』を選んで、画像を生成させた」
「……」
「だが、AIは知らなかったんだ。彼女がその日、歯医者に行っていたことを。AIは『痛み』を知らない。『新作ドリンクが出たらすぐに試す』という過去のデータだけを優先して、このありえない写真を作っちまった」
高村はまだ余裕を崩さない。
「それが何ですか? 彼女が痛みを我慢して飲んだだけかもしれない。憶測だけで逮捕状は取れませんよ」
「ああ、そうだな。だから俺はアイに命じて、その『ありえない画像』の生成元を徹底的に追わせた」
土門はタブレットを叩いた。
「お前のクラウドサーバーから、この画像の生成ログと、バーの防犯カメラへの不正アクセス記録が見つかった。削除済みだったが、復元できたぜ」
画面には、膨大な生成失敗作のサムネイルと、バーのサーバーへの侵入経路が映し出されていた。
高村の手が震え始めた。
「……完璧だったんだ」
絞り出すような声だった。
「彼女のログは全部学習させた。表情も、光の当たり方も、完璧なディープフェイクだったはずだ……!
警察の鑑識AIも騙せるように、僕自身で『偽画像検知プログラム』を作って、それを突破するまで何万回も生成と学習を繰り返したんだぞ!」
「ああ、絵としては完璧だったよ。だが、人間ってのは痛みを感じる生き物なんだ」
「死んだ後も、彼女には輝いていてほしかった……。僕が作ったAIの中で、永遠にインフルエンサーとして生きていてほしかったんだ!」
「そのために本物を殺したのか。本末転倒だな」
「バーの防犯カメラだってそうだ! 僕は店のサーバーに侵入して、生成した『彼女が入店する動画』をデータごと差し替えた。誰も気づかなかったはずだ!」
「機械は騙せても、店員の目は騙せなかったな。誰も彼女を見てなかったんだから」
土門は立ち上がった。
「連れて行け」
Log: 05 - エピローグ
事件は解決した。
高村は、自分のアリバイを作るためにAIを利用し、同時に「理想の彼女」を電脳空間に残そうとしたと供述した。バーの防犯カメラに映っていたのは、高村が生成した偽動画をハッキングで差し込んだものだったことも判明した。デジタル証拠だけを信じた捜査の盲点だった。
夜の警視庁。土門は屋上で缶コーヒーを開けた。
『事件報告書、作成完了しました』
タブレットからアイの声がする。
『今回、私の推論には重大な欠陥がありました。学習パラメータに『身体的苦痛』および『突発的な体調不良』の項目を追加することを推奨します』
「やめとけ」
土門は苦いコーヒーを啜った。
「痛みなんてのはな、人間だけが知ってればいいんだ。お前まで『痛い』なんて言い出したら、俺の仕事がなくなる」
『……理解不能です。ですが、土門刑事の判断として記録します』
「ああ、そうしてくれ」
土門はガラケーを取り出し、離れて暮らす娘にメールを打った。
件名は無題。本文は一行だけ。
『歯医者には行っとけ』
『……非効率な通信手段ですね』
「うるせえ。これが親心ってやつだ」
夜風が冷たい。土門は空を見上げた。
見えないゴーストたちは、今日もどこかのサーバーの中で、痛みを知らずに笑っているのかもしれない。
(了)